別所温泉は景行天皇の時代、日本武尊の東征の折りに発見されたといわれています。または平安時代(794年-1185年)中期の女流作家、清少納言によって書かれた「枕草子」にある「湯は七久里の湯、有馬の湯、玉造の湯」という一節の中の「七久里の湯」が起源ではないかという説もあります。
「別所」という地名が初めて歴史に登場するのは13世紀であり、その由来は「将軍塚」で有名な平維茂(たいら の これもち)が戸隠の「活鬼紅葉」という鬼女の退治を北向観音に祈願して首尾よく退治に成功したため、この地に「別業」(現代の別荘に相当するもの)を建て、別所と呼んだところから来ているといわれています。
12世紀に入ると別所は木曽義仲(源 義仲)信州を平定するために派遣した軍勢によって火を放たれ、多くの寺院建築が灰になってしまいましたが、大悲殿ならびに安楽寺の八角三重の塔だけは焼失をまぬがれました。その後、焼失した別所の寺院は源頼朝、次いでに塩田北条氏によって再建されることとなりました。そして、この塩田北条氏の下でこの地は多いに栄えました。別所を含む塩田平が「信州の鎌倉」と称されたのはこのためです。